2009年12月04日(金)
授乳服誕生物語(ダイジェスト) [授乳服誕生物語]
1997年に、私は次女を出産しました。助産院での水中出産です。
長女のときには、妊娠中毒症で入院し、NICUに入り、その結果なかなかス
ムーズにいかなかった母乳というものを、今回は楽しんでみたい。
そう思って楽しみにしていたのですが、現実は厳しく、最初1ヶ月は母乳が足り
ない日々が続きました。
でも、助産師さんの助言を受けつつ続ければ、なんとかなるものです。ようや
く順調なおっぱいライフが始まった、次女・生後1ヶ月頃のこと、私は、長女と
次女、二人の子を連れて、自宅のつくば市から、東京は立川まで、友人を訪ねて
出かけることにしました。
当時のつくばは、まだつくばエクスプレスが開通前の、陸の孤島。都内までは、
高速バスで行くしかありません。バスからJR中央線を乗り継ぎ、吉祥寺を少し
過ぎたあたりで、その事件は起こりました。
次女が泣き出してしまったのです。
抱いてあやしてみても、暑いのかも、と服を脱がせてみても、長女が声をかけ
ても、何をしても泣き止みません。
閉じられた電車内という空間では、泣き声は大きく響いて、視線が集中します。
パニックになってしまった私は、電車から降りるということすら、思いつきませ
ん。とうとう、ブラウスの前ボタンを外して、車内授乳に踏み切ったのです。
もちろん車内の人たちは、皆、私が何をしているかに気がついたと思います。
そのときの戸惑い、恥ずかしさ、大きな違和感…。
私は、幸いなことに「おっぱいって楽よ」と、産院で教えられてきました。
それなのに、こんな思いをしないとれでは、母乳は私の行動を制限してしまう。
母乳で育てたいからと、外出をがまんする人もいるだろうし、
もしかすると、そのために母乳をやめなくちゃ、と考えてしまう人もいるかもし
れない。
このときの体験がきっかけで、私は授乳服を作りはじめました。
これを何かで解決できないか?と考えたのが、授乳服です。
初めて私が授乳服を着たときの気持ちは、想像を超えるものでした。
着て、使ってみて「あ、なるほど、便利ね」ではありません。
着た瞬間に「ああ、私はこの子を連れて、どこでも行ける、何でもできる!」と
いう開放感と自信。
そして気がついたのは、
「この開放感の分だけ、今まで気がつかないまま我慢してたんだ」ということ。
当時は、今以上に、母親たちは子どもが生まれると家に閉じこもりがちな時代
でした。子どもを産んでから1年、気が付いたら夫以外の大人と話をしていない、
という人も珍しくありませんでした(もちろん、今もそうした人は少なくないは
ずです)。
授乳服を着ることで、当時、今よりずっと家に閉じこもっていた母親たちが、
外に出られるようになれる。産後のライフスタイルを変えることができる。そう
した気持ちから、私はモーハウスの活動を始めたのです。
Posted by 夢や at 14時25分 TrackBack ( 0 ) Comment ( 0 )
2005年04月21日(木)
授乳服を作り出したわけ 第37回 [授乳服誕生物語]
・法人化
モーハウスは、今、「モネット有限会社」を設立し、授乳服の製造販売を
その事業としています。
当時、NPOにするか、会社にするか、実は迷いました。
活動内容からすると、NPOにかなり近いものがあったので、スタッフはじめ
いろいろな方に相談しました。
でも、ゆくゆくは、モーハウスで働く女性たちにも、自立できるくらいの
給料を出せるようにしたい、との思いがあり、結局「会社」を選択しました
(もちろん、NPOでもお給料は出るのですけどね)。
法人化の手続きは、プロに任せた方がいい、と、モノの本には書いてありますが
そんなお金もない私たち。
やはり自分たちでやろうと決めました。
当時のスタッフ2人と私。皆子連れで、関係機関を回り、どうにか自力で
有限会社設立を果たしたのです。
Posted by 光畑 at 18時52分 TrackBack ( 0 ) Comment ( 0 )
2005年04月03日(日)
授乳服を作り出したわけ 第36回 [授乳服誕生物語]
・イベントのはじまり
それでは、本当に授乳服が必要な人、情報を届けてあげなければいけない人に
こうした情報にたどり着いてもらうにはどうしたらいいのか?
そう考えた時、ごく自然に、今までお手伝いしてきた「いいお産の日」が
イメージとして浮かんできました。
そうだ、茨城でもあんなイベントをやりたい。
授乳服と違って全国には届けられないかもしれないけれど、まずはこの地域だけ
でもやってみよう、と。
ちょうど、当時編集長をやっていた地域育児情報誌で何かイベントをやろう、と
いう話にもなったので、中にお産おっぱいイベントコーナーを作りました。
助産師さんにも誰か来てもらえないか、と考えました。
以前から手伝ってくれていた、ご近所で開業された助産師さん。
それから何人かにも、おそるおそる声をかけてみたら、皆、気持ちよく
参加してくれることになりました。
実は、今日、水戸でのイベントの取材を受けました。
たまたま一緒に取材を受けた中に、当時から手伝ってくれている助産師さんが2人
いて、一緒に思い出してみたのですが、そうそう、授乳ショーも出産ショーも
実は初回のこのメンバーの時に始めたのです。
Posted by 光畑 at 18時51分 TrackBack ( 0 ) Comment ( 0 )
2005年03月05日(土)
授乳服を作り出したわけ 第35回 [授乳服誕生物語]
・授乳服にたどり着く人たちって?
授乳服は、当時は、本当にマイナーなものでした。
以前、伊勢丹が、「女性を応援する」というスタンスで、授乳服のコーナーを
作ったことがあります(もちろんモーハウスの服ではありませんが)。
伊勢丹といえば、スタッフは優秀だし、センスも良いし、で、デパートの中でも
ちょっと別格という雰囲気がありましたので、私は「さすが!伊勢丹!」と
感心したものです。
でも、かなり短期間のうちに、そのコーナーは無くなってしまったと聞きました。
やはり、当時は売れなかったのでしょうね。
それでも、どこからかモーハウスにたどり着いて、資料を請求してくれる方や、
注文をしてくれる方は着実にありました。
その中にはいろんなユニークな方もいらして、個人的に仲良くなる方も出てきまし
た。
でも、そのうち、私の心に疑問がわいて来ました。
決してメジャーではない「授乳服」「モーハウス」という存在にたどり着ける人。
彼女たちって、情報を収集する能力に長けている人だよね。
それだけの力がある人ならば…。
もしかしたら、授乳服がなくても、ちゃんと自分で外に出て行ける人たちなのかも。
本当に授乳服を届けたい人は、もっと他にいるのかもしれない…
Posted by 光畑 at 18時51分 TrackBack ( 0 ) Comment ( 0 )
2005年02月22日(火)
授乳服を作り出したわけ 第34回 [授乳服誕生物語]
・2つ目のモーハウスサークル
札幌にこんなサークルができました、と告知をし始めてからしばらく経った頃
のこと。
次に名乗りを上げてくれたのは、千葉の方でした。
彼女は、なんと5人目のお子さんに授乳中という助産師さん
(この頃は、5人目!と驚きましたが、今では5人のお子さんをお持ちの方、
結構知り合いに増えました。ひたち野うしくサークルの場所をお借りしている
お宅にも、やはり5人のお子さんが)。
オープンハウスの雰囲気を体験していただいて、その場でサークルを開いて
下さることが決定。
自宅もいずれ改築して、たくさんの方が来られるようにしたい・・との
夢を持ちつつ、会場を借りてのサークルを開いて下さるようになりました。
助産師でもある、ということで、千葉方面でのイベントにも助っ人として
参加して下さったり、本当に彼女にもお世話になってきました。
今は、定期開催ではなく、問合せに応じてオープン、という形を取って
下さっています。
Posted by 光畑 at 18時50分 TrackBack ( 0 ) Comment ( 0 )
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